大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 平成2年(ワ)71号 判決

原告

真鍋範子

被告

前野嘉文

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金二一五〇万円及び内金二〇〇〇万円に対する昭和六二年三月二六日から、内金一五〇万円に対する判決言渡の日の翌日から右各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(ただし、原告の本件請求は、弁護士費用を除いた損害金七一七五万八〇五四円の内金二〇〇〇万円と弁護士費用金一五〇万円の支払を求める一部請求である。)

第二事案の概要

本件は、夫の運転する自動車に同乗中、自動車同士の側面衝突事故により負傷した妻が、自賠法三条に基づき損害賠償を請求した事件である。

一  (争いのない事実)

1  被告は、昭和六二年三月二五日午前一一時五〇分ころ、兵庫県津名郡津名町志筑新島六番一〇号先交差点(以下「本件交差点」という。)において、被告が所有し、自己のために運行の用に供する普通貨物自動車(以下「被告車」という。)を運転して、本件交差点内を北方向から南方向に進行していたところ、同交差点内を西方向から東方向に進行してきた真鍋博(以下「博」という。)運転の軽四輪乗用自動車(以下「真鍋車」という。)と側面衝突し、真鍋車に同乗していた博の妻である原告(昭和二四年二月一七日生まれ)に対し、傷害を負わせた。

2  原告は、昭和六三年五月二三日症状固定し、後遺障害のため、いわゆる植物状態にある。

3  原告は、治療費として金三四五万四二三〇円を要した。

4  原告は、損害の填補として、自賠責保険から、後遺障害及び治療費等に対する補償分合計金五〇九六万九二三〇円を受領した。

5  原告は、既に障害基礎年金合計金三六二万一一〇〇円の給付を受けた。

二(争点)

本件の争点は、次のとおりである。

1  原告の受傷名、治療経過及び後遺障害の内容

2  被告は、損害額を争うが、そのうち主要な争点は、次のとおり。

(一) 原告は、将来の介護費用について、その算定の基礎とすべき原告の平均余命を四三年と主張しているところ、被告は、いわゆる植物人間の場合、その平均余命は一〇年ないし二〇年であると主張する。

(二) 原告は、後遺障害による逸失利益について、その算定の基礎とすべき原告の労働能力喪失期間を満六七歳までの二八年間、労働能力喪失率を一〇〇パーセントとして算定すべき旨を主張しているところ、被告は、前記(一)のとおり、原告の生存年数が一〇年ないし二〇年であることを前提として、原告の右生存中は流動食しか摂取できないから、その間の生活費は通常人より少ないことを理由に、右生存可能日までの逸失利益について少なくとも二〇パーセントの生活費を控除すべきであり、右生存可能日以降の逸失利益については、五〇パーセントの生活費を控除すべきである旨を主張している。

3  過失相殺

(一) 被告の主張の要旨

事故現場である本件交差点は、東西道路に一時停止の標識がある交差点であるところ、博は、真鍋車を運転して、本件交差点を西方向から東方向に進行するにあたり、一時停止を怠り、漫然と時速四〇キロメートルで進行した過失がある。そして、原告と博は、夫婦であつて、生計を同一にしており、かつ、原告は、博運転の真鍋車に同乗していたのであるから、博の右過失は、原告側の過失として斟酌されるべきであり、本件事故発生に対する原告側の過失は八〇パーセント、被告の過失は二〇パーセントとするのが相当である。

(二) 原告の主張の要旨

博は、本件交差点の一時停止線手前で真鍋車を一旦停止させ、前方左右を確認したにもかかわらず、生け垣及び街路樹が障害となつて、被告車を発見することができなかつたので、真鍋車を発進させ、本件交差点に進入したが、その速度は時速約三〇キロメートル以下であつたから、博の過失を問うことは誤りである。

もつとも、本件事故後に作成された博の司法警察員に対する供述調書には、博が真鍋車を一旦停止させた事実が記載されておらず、また、博は、自己の刑事裁判において、一時停止を怠つた旨の公訴事実を争わず、略式命令を受けているが、右当時、博としては、本件事故の責任についての事実関係を云々するよりも、家族、とりわけ原告の回復を祈る気持ちで一杯であつたという状況に照らして考えるならば、右供述調書及び略式命令の記載内容は、とうてい信用するに値しないというべきである。

4  原告の受給している障害基礎年金について、原告は、これを損害の填補として原告の損害から控除すべきではない旨を主張するのに対し、被告は、障害基礎年金が、遺族年金と異なり、原告が生存する限り支給されることが確実な年金であるから、生存を前提とする損害(将来の介護料及び控除しない生活費)がある限り、総損害額から控除されるべきであるとして、以下の給付が損害の填補となる旨を主張する。

(一) 既給付分金三六二万一一〇〇円

(二) 原告が、症状固定日から一〇年間生存するとすれば、原告は、前記(一)のほか、平成三年から平成九年まで七年間、年額金一二四万四四〇〇円を下回らない障害基礎年金を受給するところ、右年金の本件事故時の現価は金六二五万四一〇五円である。

(三) 原告が、仮に二〇年間生存するとすれば、受給すべき右年金額の本件事故時の現価は金一三一一万五三五三円である。

第三争点に対する判断

一  原告の受傷名、治療経過及び後遺障害の内容

1  原告の受傷名

原告は、本件事故により、胸部外傷、両側気胸、多発性肋骨骨折、顔面外傷、肺挫傷、脳浮腫及びシヨツクの傷害を受けた(甲一〇ないし一六)。

2  原告は、右傷害の治療のため、(1)兵庫県立淡路病院に、昭和六二年三月二五日から同年五月一三日まで五〇日間、(2)国立療養所兵庫中央病院に、昭和六二年五月一三日から同年八月一二日まで九二日間、(3)西脇市立西脇病院に、昭和六二年八月一二日から同年一一月二五日まで一〇六日間、(4)国立療養所兵庫中央病院に、昭和六二年一一月二五日から昭和六三年五月二三日まで一八一日間、各入院した(甲一七の1、一八の1、11、17、20、一九の1、6、二〇の1)。

3  原告の後遺障害の内容は、次のとおりである。

(一) 〔自覚症状〕意識障害、四肢麻痺、呼吸不全

(二) 〔他覚症状及び検査結果〕頭部CT所見として、両側淡蒼球、被殻、内包、前頭葉、側頭葉、後頭葉、頭頂葉、皮質及び皮質下領域に広範囲の吸収域が認められ、脳波所見では、左側に不規則な低振幅速波が出現している(甲一六)。

二  損害額〔請求額金一億二二七二万七二八四円〕

1  治療費 金三五四万四二三〇円

(当事者間に争いがない。)

2  付添看護費 金一四五万七〇〇〇円

原告は、四二六日間入院したが、証拠(甲二一の1ないし4、原告法定代理人)によれば、原告はいわゆる植物状態にあるため、右入院期間中付添看護を要するに状態にあり、その間、(1)昭和六二年三月二五日から同年五月二二日までの六二日間は、博と原告の実母が付添い、(2)昭和六二年五月二三日から同年八月二六日までの九六日間は、博が入院先病院に赴いて、原告の身の回りの世話、洗濯等を行い、(3)昭和六二年八月二七日から同年一〇月三一日までの六六日間は、原告の実母が付添い、(4)昭和六二年一一月一日から昭和六三年五月二三日までの二〇五日間は、博が右(2)と同様の世話をしたことを認めることができ、右(1)及び(3)の近親者の入院付添費は、一日当たり金四五〇〇円と認めるのが相当であり、また、右(2)及び(4)の博の付添分については、原告の主張に従い一日当たり金二〇〇〇円と認めるのが相当である。

なお、証拠(甲二四の1、2、原告法定代理人)によると、博は、前記(1)の付添により、小学校教員としての給与を金三六万三〇六〇円減給されたことが認められるけれども、右減給相当額をもつて博の前記(1)の入院付添費と認定するのは客観性を欠き、相当でない。

よつて、原告の付添看護費は、次の計算式のとおり、金一四五万七〇〇〇円となる。

四五〇〇円×二×六二+二〇〇〇円×九六+四五〇〇円×六六+二〇〇〇円×二〇五=一四五万七〇〇〇円

3  将来の介護料 金三七一三万七七四六円

証拠(甲一六、原告法定代理人)によれば、原告は植物状態にあつて、機能回復の見込みはまつたくないため、常時監視と介護が必要であることが認められ、原告の年齢、病状等を考慮すると、向後四三年間(昭和六三年簡易生命表による)、一日当たり金四五〇〇円の介護料を要するものと認めるのが相当である。

もつとも、被告は、原告は植物状態にあるから、その生存可能期間は一〇年ないし二〇年である旨を主張するが、原告の生存可能期間をこのように限定すべきことの合理性についてなんらの立証のない本件においては、単に原告が植物状態にあるということから、安易にその生存可能期間を限定することは許されないものというべく、被告の右主張は採用することができない。

そこで、将来の介護料を年別の新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除してその現価を算定すると、次の計算式のとおり、金三七一三万七七四六円(円未満切捨て、以下同様)となる。

4  入院雑費 金五五万三八〇〇円

入院雑費は、一日当たり金一三〇〇円と認めるのが相当であるから、四二六日間で右金額となる。

5  休業損害 金二六六万円

証拠(甲二二の1ないし5、原告法定代理人)によれば、原告は、本件事故前、自宅においてピアノ教師として稼働し、常時四〇名程度の生徒(うち二名は原告の実子であつた。)を教え、少なくとも原告の実子二名を除く三八名から一か月平均五〇〇〇円の月謝を得ていたが、本件事故による入院期間中の一四か月間、休業を余儀無くされたことが認められる。

したがつて、休業損害は、次の計算式のとおり、金二六六万円となる。

五〇〇〇円×三八×一四=二六六万円

6  後遺障害による逸失利益 金三九二六万四一〇八円

前記認定の原告の受傷及び後遺障害の程度に照らすと、原告は、本件後遺障害のため、昭和六三年五月二三日からその労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認められる。

また、原告は、本件事故当時、自宅でピアノ教師として稼働し、金二二八万円(五〇〇〇円×三八×一二)の年収を得ていたことが認められるので、原告の逸失利益の算定に当たつては、原告主張の昭和六二年賃金センサス女子労働者学歴計の年収金二四七万七三〇〇円によるよりも実収入である年収金二二八万円によることが相当と認められる。

原告の就労可能年数は昭和六三年五月二三日(三九歳)から二八年間と考えられるから、原告の将来の逸失利益を年別の新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除してその現価を算定すると、次の計算式のとおり金三九二六万四一〇八円となる。

二二八万円×一七・二二一一=三九二六万四一〇八円

なお、被告は、原告の生存可能期間が一〇年ないし二〇年であることを前提に、生存可能日以降の逸失利益については、生活費を五〇パーセント控除すべきであると主張するが、右前提自体失当であることは、前記3で説示したとおりであるし、原告が流動食しか摂取できない状態にあることを理由に、逸失利益から二〇パーセントの生活費を控除すべきであるとの被告主張も根拠に乏しく、採用することができない。

7  慰謝料 金二三〇〇万円

以上認定の諸般の事情を考慮すると、金二三〇〇万円が相当である。

8  以上1ないし7の合計額は、金一憶〇七六一万六八八四円である。

三  過失相殺

1  証拠(甲二ないし九、乙三、原告法定代理人、被告)によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 事故現場である本件交差点は、志筑港方面から塩尾方面に至る南北の道路(以下「南北道路」という。)と、国道方面から海岸方面に至る東西の道路(以下「東西道路」という。)とが十字型に交差する交差点であり、東西道路は、交通標識により一時停止の交通規制が行われており、また、最高速度は時速四〇キロメートルに規制されている。

東西道路からも、南北道路からも、前方・右方・左方の見通しはいずれも良好である。

(二) 被告は、被告車を運転して、南北道路を北方向から南方向に時速五〇キロメートルで走行し、本件交差点にさしかかつたが、当時車両の通行は閑散としていたことから、油断し、進路前方のみに気を奪われ、東西道路の交通に対する安全の確認をしないまま、時速約五〇キロメートルで本件交差点に進入したところ、右斜め前方一八・二メートルの地点に東西道路を東進してくる真鍋車を発見し、急制動の措置を講じたが、間に合わなかつた。

他方、博は、真鍋車を運転して、東西道路を西方向から東方向に時速約四〇キロメートルで走行し、本件交差点の入口に一時停止の交通標識があることに気が付かず、一時停止して南北道路の交通の安全を確認することなく、前記速度で本件交差点に進入したため、南北道路を南進してきた被告車と側面衝突してはじめて、被告車の存在に気が付いた。

(三) 証拠(甲二三、原告法定代理人)中には、博が本件交差点手前の一時停止線で一時停止をしたことを窺わせる記載及び供述部分があるが、前掲各証拠と対比してにわかに信用することができないし、博が本件事故後司法警察員の取調べを受けた際に、本件交差点手前で一時停止をしたことを供述しなかつた理由につき同人が述べるところは、合理性を欠き、とうてい採用することができない。

2  以上によると、被告には、東西道路の交通の安全に対する確認を欠いたまま本件交差点に進入して本件事故を発生させた過失があり、他方、博には、本件交差点手前の交通標識に従つて一時停止し、南北道路の交通の安全を確認する注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、漫然と時速約四〇キロメートルで真鍋車を本件交差点に進入させたため、本件事故に至つたものであるから、博にも過失があるといわなければならない。

そして、民法七二二条二項が不法行為による損害賠償の額を定めるにつき被害者の過失を斟酌することができる旨を定めたのは、不法行為によつて発生した損害を加害者と被害者との間において公平に分担させるという公平の理念に基づくものであると考えられるから、右被害者の過失には、被害者本人と身分上、生活関係上、一体をなすとみられるような関係にある者の過失、すなわちいわゆる被害者側の過失をも包含するものと解され、したがつて、夫が妻を同乗させて運転する自動車と第三者が運転する自動車とが、右第三者と夫との双方の過失により衝突したため、傷害を被つた妻が第三者に対し損害賠償を請求する場合の損害額を算定するについては、右夫婦の婚姻関係が既に破綻にひんしているなど特段の事情のない限り、夫の過失を被害者側の過失として斟酌することができるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和五一年三月二五日判決・民集三〇巻二号一六〇頁参照)。

3  そこで、被告と原告側双方の過失を対比すると、原告の損害額から七〇パーセントを減額するのが相当である。

したがつて、被告が原告に対して賠償すべき損害額は、金三二二八万五〇六五円となる。

四  損害の填補

原告が損害の填補として自賠責保険から受領した金五〇九六万九二三〇円を控除すると、原告の損害は、原告が受給する障害基礎年金が損益相殺の対象となるか否かについての判断をするまでもなく、既に右自賠責保険金のみによつてすべて填補されたものといわざるを得ない。

五  弁護士費用〔請求額金一五〇万円〕〇円

第四結論

原告の本件事故による損害はすべて填補ずみであるから、失当として棄却されるべきである。

(裁判官 三浦潤)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例